今、グループホームという介護施設の設計をしています。認知症や手足の不自由なお年寄りを家庭的な雰囲気で介護する施設で、全国に約1200の事業所があるそうです。
そのスタッフの方から介護のあり方やお年寄りに必ず来るであろう「死」というものへの向き合い方について話を聞くうちに、私が設計している住宅(自宅)で満足した死を迎える人たちはいったいどのくらいいるのだろうか・・・と考える様になりました。
調べてみたところ、日本で1年間に亡くなる約100万人のうち自宅で最期を迎える人は2割に満たない・・・というデータがあります。昔に比べると病院が整備されたことに起因するところが大きいそうですが、病院だけでなく最近は、特別養護老人ホームや老人保健施設などの介護施設で亡くなっている方が増えているそうです。
度々、テレビなどのマスコミで老人の孤独死についての報道がされます。もちろんどんな形であれ「家族」に看取(みと)られ、幸せな気持ちで死んでいくことが理想ではありますが、私はこの孤独死の中でも、もし自分が「終の棲家」と決めた空間で死を迎えることができたならば、ある意味「満足死」に値するのではないかと思います。
グループホームのスタッフの一人が非常に印象に残る事を言っておりました。以下にその言葉の一部を示します。
『理想は自宅で家族に看取られて死を迎える事ですが、世の中にはいろいろな事情でそうすることができない人々がたくさんいます。ですから我々はその方々に最期を快適な空間で迎えてほしいと願っています。「あぁ、ここなら満足した死が迎えられる・・・」という気持ちにさせる建物がほしいのです。その様な建物の設計をお願いします』
これはある意味究極の設計依頼かもしれません。
世界的に有名な建築家「ル・コルビュジエ」でさえ、最期は6帖くらいの小さな小屋を「終の棲家」としたそうです。つまり「終の棲家」に求めるものは、大きさや規模、形といったハードの問題ではなく、建築のもつ内面性(ソフト)の問題ではないでしょうか?
今回はグループホーム(介護施設)でしたが、普段、住宅の設計をする時も、そこに住まわれる方が「終の棲家」と思っていただける快適な空間を提供することが我々建築士の使命かもしれません。
何をもって快適な空間と定義するかは人それぞれ答えがちがいます。数学や物理と違って答えのない分野がこの「建築」であり、答えを探してのめり込んでしまう、そんな魔力がありますネ〜。 |